私が言われて嫌なこと

こんにちは。おしんです。今日は、仕事開始30分くらいで保育園から電話があり、お迎えになってしまったので、家にいる時間ができました。病院で病気をもらってくるのも嫌なので、軽症なら極力行きたくないのですが、病児保育サービスを利用しようと思うと、病院を受診して、医師の診断書をもらう必要があります。なんとももどかしいです。

さて、一周くらいタイミングが遅れてのブログ投稿ですが、新型コロナが話題になるちょっと前に、私のまわりでネガティブな意見にどう対処するかというのが、ちょっと話題になりました。

そこで出たひとつの結論というか、落としどころは「ネガティブな意見に反応するのは、自分に自信がないからだ」ということでした。

まさしくその通りだな、と自分の中でも振り返ったことをブログにしておこうと思いました。

私が言われて嫌なこと

わたしも言われて嫌なことがありました。それは、昨年から転職して、夫の仕事(制御盤屋)を一緒にやるようになって、どこへ行っても

「(夫の仕事を)お手伝いされてるんですねー」という風に言われること。

私は、夫と同じ、制御盤組みの仕事をしています。なのに、妻というだけで、女というだけで、なぜに「手伝い」になるのか?なぜ職位が低いのか?とモヤモヤしてたんです。例えばこれが逆で、妻の実家の看板屋を夫も一緒にやることになったら、「手伝う」という単語はおそらく出てこないですよね。

でもこれもやっぱり、モヤモヤの根本的な原因は「自分の自信のなさ・まだ仕事の腕前が未熟であることを自分自身がよく分かっているから」なんですね。男・女である以前に、まだろくに一人前に仕事をこなせるわけではない。そこを的確に突かれているから、反動でイライラしたり、反発したい感情が出てきてしまうんだと。

言う側の肩を持つ、というと言い方が少し悪いのかもしれませんが、手伝う、という言い方をしたくなる気持ちはよく分かるんです。なぜならそのケースが圧倒的に多いから。夫が仕事をしていて、その会社で妻が経理や事務作業を担うという形ですね。確率の高い言い方をするのは仕方ないのかなと。経理・事務だからって手伝い扱いに降格されるのも実はいささか納得いかないですが、議論が発散するのでここでは止めときます。

あとは、私みたいな調子で、発言に難癖を付けていると、無難な話題がこの世から無くなっちゃいます。雑談のコツとして、無難なコンテンツは「天気」「カレンダー」、反対に避けるべきコンテンツは「野球」「宗教」「政治」だと言われたりしますが、極端な話、天気の話しか出来なくなってしまう。もっとイヤミな見方をすれば、天気予報士さんに「今日はいい天気ですねー」と言ったら、「(私、雨と予報したのに当てつけなのかなあ…)」なんて思われたりしてしまうから、天気ネタも万能とは言えません。

あれもダメ、これもダメと、そんな窮屈な世界も、生きづらいなと思いました。なので、自分ごととして捉えられてからは、会話の流れから読み取って、悪意をもって・わざわざでない限りは、ほぼ気にならないようになりました。

ただ、仕事上のやりとりで、私が事務方ではなく、盤組みの戦力だと伝える必要があるときは、夫が「妻は高専出てるんで(工業系の学校出てるんで)」と言って、やんわりと相手に見方を正してもらうようにしています。肩書や出身アピールは悪いイメージを持たれがちですし、普段はわざわざ言わないですが、制御盤屋になってからは、この学歴に助けられています。

例外として腹が立つのは、営業とかはじめましての挨拶で仕事場に来られる方が、視界から完全に私を外しているケース。ほとんどが中高年のおじさまですね。名刺交換もしてもらえません。もちろん、メインで話したいのは社長(夫)なので、私とわざわざ話す必要もないのですが、空気感で相手の捉え方はだいたい分かります。

これも、今までの時代、特に工場仕事では、男性と同じフィールドに女性が立つなんて環境が無かったから、仕方ないなと思うようにしています。その場で何か言い返したからって、いい方向に進むとは思えないですしね。 この人は、女性に同じフィールドに立たれたら、どのような物の言い方をしたらいいかすら、分からないのかもしれない、と思うこともあります。普段、どんな物の言い方をしてるんでしょうね。

正義と幸せはちがう

この話題に限らないのですが、話していてしんどくなったりモヤモヤしたり、議論にならないな…と思ってしまうのは、正しい・正しくないの尺度だけで結論付ける人。たとえば、こんな意見

・言わなくてもいい事をわざわざ言う人が悪い
・いちいち気にするほうが悪い

これらは、別に間違った意見じゃありません。正しい意見です。訴訟を起こして相手に損害賠償請求をしたい場合なんかは正しさの立証も大事ですが、普段の生活の中では、正しさを持ち出したからって、何でも解決しないんですよね。

相手を罰したい訳でも、自分を罰したい訳でもないんです。正しさではなくて、どう考えれば、「自分ごととして捉えつつ」「解決できる問題になるのか」。この考え方に持っていきたい理由は、それが一番皆が平和に、そして前向きに生きていけるから。

「相手が悪い」で愚痴って終わる問題なら、それでもいいんだけど、何か解決しなければならないものがある、自分の中でどうにも納まらない感情がある、そんなときは、自分のしあわせの為に、正しさよりも、そうやって考えていきたいです。

 
おしん

西坂夏代(旧姓:新永)。高専を卒業して大企業のネットワークエンジニアを9年勤めた後、2019年から、夫の制御盤屋にジョイン。盤職人として修行し、簿記も習得するかたわら、小さな会社のマーケティングについて勉強中。
8歳年上の夫と、2歳・3歳の息子の4人家族。

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