こんにちは。おしんです。
前回の記事「【読書感想】遅いインターネット」について、読み返すと、色々と盛り込みすぎて誤解を招く文章だと感じました。追記としてこの投稿を書きます。
端的にいうと「SNS発信を否定している」文章になってしまったのですが、私が著書から読み取って本当に伝えたいと思ったのは、「何かに、思考停止して没入してしまう人々」になってはいけないということです。
見たいもの・信じたいものだけ
いつの時代でも、人々は「影響力のある誰か」に惹かれ、集まったり、支持したりします。「誰か」でなくても、もっとふんわりとした「何となくの空気感(≒常識)」に合わせて生きていくことも、その内に入ると思います。
今の時代、私たちはインターネットや ソーシャルネットワークを通じてみる「誰か・何か」に惹かれることが多くなりました。Youtuber、インフルエンサー、なんかも入るかもしれません。
・インターネット・ソーシャルネットワークを使うこと
・「誰か・何か」に惹かれること
この2つが悪いと言っているわけではありません。危惧されているのは、今までのメディアと比べてインターネットが持つ特徴、
・情報量が圧倒的に多い(未精査も含む)
・情報へアクセスしやすい(通信環境・スマホの発達)
・アクセスする速度・自由度も圧倒的に高い(検索ワードを調節することで、欲しい情報だけが手に入る)
によって、「自分が見たいもの・信じたいもの」だけを見て、過剰に「誰か・何か」に依存してしまうリスクが高いということです。○○を信じたい、と思ったら、それに合う情報ばかりを集められるということです。「〇〇(個人や団体)が言っているから正しい」というのは、信頼…という見方もできる一方で、思考停止しているとも言えます。
非日常ばかりが見えてしまう
SNSの投稿は、日常 or 非日常でいえば、非日常の投稿のほうが見栄えがよいです。いいねも付きやすい傾向があります。
非日常は、人生に刺激を与えたり、日常をより豊かにしたりと、必要なものです。危険なのは、非日常を過度に求めてしまい、良い・悪いの判断が疎かになってしまうこと。
その遠い遠い延長線上に、例えばイスラム国(IS)だったり、怪しい宗教だったり、よくない政治思想に熱狂してしまう人々があるということです。
それを防ぐために、不必要な非日常に振り回されないために、まずは日常を強く生きる・きちんと生きることが大切だということです。日常がつまらないからと非日常を渇望してしまうと、時によくないものにも流されてしまう恐れがあります。
自分のRT・いいねを観察してみた
ちょっと試しに、自分がTwitterでいいね・RTしようと思ったときに、なぜそう思ったのか?をメモってみました。iPhoneではスクショ保存時に、トリミングやテキスト書き込み・手書き編集ができるので、それを活用して、いいねする前にスクショして、理由をテキストで書き込んで保存してみました。
この2-3日だけの結果ですが、ざっくり分類すると、以下のような分類でした。
- ほっこりした、身近な人の日常の投稿
- 身近な人の、素敵だと思ったできごと
- その企画、面白い、いいね!
- ぜひ頑張ってほしいと思った取り組み、ねぎらい
- ネタとして面白い
- 該当する人に気づいてほしい、戒めの言葉
- 私もそうしてる!(共感、無意識のプロフィールの演出)
- ある投稿への反論を支持したい
- 業界特有の悩みを、他の人にも共有したい
一律にどの理由がいい・悪いではないにしろ、6.~8.は、時としていいね・RTをすることで「自分がそれを発言した気分になっている」かもしれないと思いました。
まとめ
著書を読んでふむふむなるほど…とは思ったものの、次に浮かんだ疑問は「思考停止しているかどうか」の見極めが難しいなー!というところです。「直感的にいい!と感じる」というのも私よくありますが、感覚的な分、判別が難しいです。
あくまで、 SNSの使い方は誰も規定していないから、こうしないとダメ!というのは無いです。 私が普段交流させて頂いている皆さんは、日常を楽しみ、投稿を通じてコミュニケーションを図り、良い使い方をしておられると思っています。 交流を深める目的で使っているTwitterとして、いいねは、緩いコミュニケーションの1つだとも思っています。
ひとまず私は、あえて「感覚の赴くままに」アクションする時と、いったんブックマークに保存して、いいねやRT・コメントする前に考えたりする時をまずは意識して分けてみようと思いました。
うーん、SNSを通じたブログ投稿で、SNSに対する批評というのは非常にセンシティブで、 ちょっと私が感想文を書くにはレベルの高い本でした。 なんか反応を恐れてしまう自分がいたので、ちょっと今後はやめておこうかなと思いました。