自己紹介

ネットワークエンジニアから制御盤屋へ
制御盤って面白い!

電話回線と並んで重要な通信インフラとなったネットワーク(インターネット)回線。
企業や学校の、このネットワーク回線を守る仕事を9年間しておりました。

スイッチやルータのログとにらめっこし、障害解析を行い、
重大障害やソフトウェアの不具合が見つかれば、説明資料を作って報告に走り、お客様の厳しい要求とメーカとのはざまで、交渉の日々。

9年間、オフィスビルで一日中パソコンと過ごすような日々でしたが、
2019年、制御盤屋へ転身しました。

ネットワークエンジニアから、制御盤屋へ。

パソコン上の仕事は Ctrl+Z でやり直しがきく作業ばかりですが
電線や材料を切ったり、鉄板への穴あけは失敗したらやり直しがききません。
製造業では当たり前だけど、パソコン作業に慣れた私には恐怖でしかありません。

でも、実際に自分の手でモノを作り上げるのはすごくワクワクします。
制御盤は、カラフルな電線を使って部品をつなぎ、機械の制御を行う脳みその部分を作ります。電化製品のような汎用品と違い、すべてオーダーメイド。

配線がとても美しい、一つの芸術作品だと思っています。
そんな作品が作れる制御盤職人を、私は勝手に線職人と呼んでいます。

制御盤を盛り上げたい

身の回りはミニマルに、シンプルに。モノを持ちたがらない時代。
小学校でプログラミング教育が必修になり、
便利なサービスが次々と増え、スマホ・パソコンがあれば何でもできる時代。

でも、生活のベースには必ずモノがあって、それを製造する機械があって、制御盤もあります。

それなのに、制御盤に従事する人はどんどん減っています。

まずは、認知度が低いこと。
工場内やマシンルームなど、一般人の目につかない場所にある事と
それ自体が動くわけではない(制御盤につながる機械が動く)ので、
あまりその存在を知られていません。

だから、まずは制御盤をもっと知ってほしい。
そして、面白い!と思ってくれる人を増やしたい。

そういった思いで、日々インスタグラムにて面白いと思える制御盤屋の日常を投稿しています。

夫婦2人の小さな株式会社で
この時代の闘い方を考えてます

現在は、夫が社長、私が社員の、夫婦2人の株式会社にて制御盤屋をしています。

もともと制御盤の設計・製作を行う会社員だった夫ですが
お付き合いのあった制御盤屋の社長が急逝され、熟慮の末、会社を継ぐことに。

夫婦で共に仕事をするということ、30歳になって全く違う業界へ転職したこと、
たくさんのチャレンジが重なって、うまくいかないこともありますが
小さな会社ならではのフットワークを活かして、いろんなことに挑戦してみたい。

この時代に超零細企業がどうやって生き残るのか、マーケティングなどの勉強をしながら試行錯誤しています。

生い立ち

平成元年生まれで「ゆとり世代」と呼ばれ、情報化社会の普及とともに育ちました。

三洋電機に勤める父を持ち、岐阜県安八町に生まれました。
新幹線から、巨大なソーラーパネルの見える町です。
父は山口県下関市(旧:豊浦町)、母は長崎県五島列島出身。
そして、父の転勤で中学から大阪へ来たため、私のルーツはいろんな所にあります。

父のおかげで幼少期からパソコンに触れて育ち、父の仕事を誇りに思っていたので、私もパソコンを使った仕事に就くんだろうなーとぼんやり考えながら、大阪府立高専(現:府立大高専)へ進学。

電気・電子・情報を幅広く習うも、いまいち仕事のイメージが湧かない中で、インターンシップで出会ったネットワークの会社でスイッチやルータにコマンドを打ち込むのが面白かったため、その会社に就職しました。CiscoやJuniperといった様々なメーカの機器に触れ、構築を2年、保守を7年経験したのちに、現在の制御盤屋に至ります。

家では2歳と3歳の年子の息子たちと戦争の日々です。

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